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歴史

歴史

 平安・鎌倉〜江戸時代

街道沿いの集落田園と居久根の風景

小高い自然堤防地帯であったため、鎌倉頃から農集落として発生したとされている(当時の文献より)。慶弔元年(1865年)の「御領分絵図」には「南ガモウ」と地名が記されている。

明治〜大正

平野部に点在する集落を街道が繋いでいる

明治以降の町村合併により高砂村に編入。明治14年(1881年)の文献に「専能寺」が記されている

専能寺

昭和

南蒲生のようす

高度経済成長期に周辺部が劇的に変化するも
南蒲生と周辺(岡田地区)は変わらない
  • 昭和高度経済成長期における周辺地域の都市化の中、街道と集落形態が残る。
  • 南蒲生浄化センター1号線(南岡田線)国道 45 号など道路の整備が進む。
  • 市街化調整区域のため市街地化・工業地帯化を逃れ、集落形態が残っている。
  • 東部道路が整備される。
  • 継承してきた田園と居久根の風景。

居久根のようす

昭和中頃までは居久根と密着した生活、
高度経済成長以降は役割が変わり始める
  • 焚く、売るなどに活用され生活の一部であった。
  • 「防風」と「採光」の観点から、西・北側の配置された。
  • 魔除けの意味や屋敷の誇りでもあった。
  • 屋敷森を通り抜けて近所におつかいに行った。
  • 夏は涼しく、冬は風から守ってくれた。
  • 個人での維持、管理が負担となってしまった(昭和後期)。

昭和の年表

平成

南蒲生のようす

残る旧街道と街道沿いの家なみ
地区内を通る道路(県道塩竈亘理線)の整備や浄化センターの建設など地区の周辺を取り巻く状況が変わる中、旧街道と集落が残る。
東日本大震災の津波で多大な被害を受ける。2015年3月に新しい集会所がオープン。

居久根のようす

震災を機に見直される居久根のある暮らし
ライフスタイルの変化により、居久根に求められる役割も変化しています。居久根は「自然の豊かさを暮らしに取り入れてきた先人の知恵」。これを次世代に継承し、暮らし方・自然との関わり方などを復興まちづくりを契機に「みんなの居久根プロジェクト」として再考ています。

平成の年表

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    通り沿いにある生け垣
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    青々とした田園風景
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    屋根より高い居久根

南蒲生の詳細は、地元学雑誌「鍋沼」でご覧いただけます。

岡田・鍋沼
PDF(95MB)